◆ 広告アイテムの詳細

  <目次>

2004年1月号掲載分
2003年11月号掲載分


【2004年1月号掲載分】

映画用衣装ドイツ軍野戦服 (広告掲載04年JAN1番)

過日アメリカへ出張した際に、取引先のディーラーから「映画会社の衣装部」の廃棄品を買い取ってコレクター相手に商売している友人がいるのだが、会ってもらって、なにか買ってくれないか。」といわれました。こういった提案はよくあって、以前にも「映画会社の倉庫をそのままもってきた。」というふれこみの、ショップのようなところにいったことがありました。その2回が2回とも、服や装備、大変な量はあるのですが、いざ選ぶとなると、必要なものは無理しても10点かそこら程度、反面それだけの量を見るのには何時間もかかって、ぐったり疲れてしまう、というのが結末でした。どうしてそれだけあるのに、良いものがないのか、というのは品物を見たレコレクショヌールの予想ですが、あきらかにその人物が買取をする前に何者かがすでに「良いものだけを」抜き取っていることであろうことです。人気のあるフィールドジャケットなども、実物でずらりとならんでいるのですが、人気のあるサイズ、ある程度以上の水準のコンディションものだけが全くといってよいほど、ない。そういった、コレクターが欲しがるものだけ、空間ごと消えているように、ないのです。在庫量がそれほど多くないミリタリアショップでもそこまでない、ということはまずありません。盗掘されていないピラミッドがないように、そういった夢の倉庫、みたいなものはなかなかないようです。そこのオーナーはとてもこの何千という服が映画会社の衣装だったというところを強調いていて、いちいち押してある「ハリウッドなんとか衣装」というスタンプを見せてくれますが、私たち日本人コレクターにとっては、それは..。難しいですよね。そろそろなにか付き合いで買って帰ろうか、としていたところで、衣装の中になにか視覚的に「見覚えのある」ものを見つけました。引き出してみたのが今回のドイツ軍野戦服です。緑っぽいウールの本体で裏地が全体にわたってついています。(このことから裏地は部分的にしかない構造の実物の野戦服は参考にせずに作られたことが伺えます)その反面、徽章類はどうも見本にした実物があったようです。おそらく初期野戦服を再現しようとしたであろう、緑の襟(結構いい感じの色です)、ついている襟章は刺繍で造ってありますが、おそらく見本にした実物が将校用だったのでしょう、大変大型になっています。兵科色もその襟章が赤かったのか、赤が入っています。肩章も映画がテレビで見た記憶のあるダークグリーン時に異様に太い「白い」パイピング、形は実物通り、脱着式なのですが、糸で縫いつけ。また丁寧に襟のホックも付けられています。首の部分に「ウエスタン衣装会社、ハリウッド、カリフォルニア」と白いスタンプで入っています。残念なのは、画面で見たあの巨大な国家章、鳩のようなデザインに、針金のようなハーケンクロイツ、が剥ぎ取られていて、代わりに一時の日本製のような複製の国家章がついています。以前、先輩にあたるコレクターで、このコンバット風ドイツ軍衣装を大変苦労して入手した、といっている人がいたのを思い出します。今回の広告の品、原価は220ドルでした。テレビ番組の「コンバット」に出てきて、私たちが「ドイツ軍の服はこうなっているのか」と凝視したあの画面の中の服がこの服かどうかはサイトの画像と広告の写真を見てご判断ください。ある意味で実物よりも圧倒的に残存数は少ない、「実物でない実物?」といえるアイテムです。

日本海軍ガスマスク (広告掲載04年JAN2番)

このガスマスクはガスマスクとしての入手難易度のさることながら、日本軍ガスマスクとはとても思えない限りなく新品に近い状態、面体は完璧に柔軟性を残しており、面体裏側の黄色っぽいゴムの材質も触るとまだ「粉っぽさ」のある触感を感じる超新品状態です。面体内部には「錨に26」と「日174」の凸型刻印があり、正面アルミカバーをはずした下にある生ゴム製排気弁も乾燥・硬化などはなく、きちんと機能する状態です。吸収缶にも凸刻印で九三式三号とあり、海軍グレーの塗装もほぼ100パーセント残っており、鉄製品上の塗装のいわゆる「年月焼け」による変色もありません。さらに連結ホースも硬化、ひび割れ一切なし、という完璧な状他です。問題は広告でお願いしているお値段です。高額で申し訳けないとは思うのですが、原価も高く、650ユーロ(約88000円)だったため、レコレクショヌールの利益も24%と低く抑えました。レコレクショヌールの仕入れ担当者は、ドイツ軍関係では頻々に、また極端な価格が多いWW2アメリカ軍関係のいわゆる「未使用レベル」のものなど、良い品なのだけども高い、という品物を購入する際にはいつも、大変迷います。それは仕入れとして投資するお金のことではなく、「この原価に利益を載せた価格を日本コレクターがはたして適正と信じてくれるだろうか?」という疑問、というよりも不安感です。ただ、コラム「コレクターとの会話」で申し上げているように、今の「オークション時代」の恩恵といえるでしょう、海外の相場をご存知で、またオークションでの異常な落札価格のせり上がりをご覧になっている国内のコレクター諸氏は「その程度の利益で大丈夫?」と心配してくださるかたまでおられるようになりました。もう1点、このアイテムの入手先は変わったことにイタリアで、レコレクショヌールが通常はドイツ軍コレクションを取り引きしている個人コレクターです。実はこの日本海軍ガスマスクの売却の申し出があったときは、値段も値段だし、「どうせ状態が良いというのも大げさに言っているのだろう」と一度は断ったのですが、なぜか写真まで送ってきて「良いものだから」と2度目の申し出があったものです。満足できない場合は返品する、という条件で購入したのですが、到着した完璧な状態のガスマスクを見て、疑り深かった自分が恥ずかしく、大変このイタリア人に申し訳ないことをした、と思いました。日本軍関係コレクションに関してはレコレクショヌールは国内にまだ良質なコレクションが流通する被服関係は扱わず、野戦装備、徽章類に重点を置いて扱っております。被服を扱わないとなるとアイテムの入手頻度は低く、1月に1点、というようなこともありますが、今後もレコレクショヌールは今回の品のように国内での入手の可能性が低いアイテムの「逆輸入」に力を入れまいります。価格の点でも思い切り、無理をしますので、ご期待ください。

フライトジャケットB15モディファイド  (広告掲載04年JAN13番)

のっけからお金の話で、下品なことで申し訳ありませんが、とにかく¥38,000というこのお値段!WW2当時に開発されたフライトジャケットを、回収・工場での規定改造により、初期ジェット用ヘルメット着用時に、邪魔となる大きなボア襟部分を取り去って、MA1風のジャージ襟に改造された「モディファイド」は第2次大戦のヴィンテージの構造と、現代的な襟もとが融合して調和する個性的な外観です。特に通常のB10、B15などをコレクションし終わった方々に求めらる、とされる「B15モディファイド」ですが、すでに開発されつつあった新素材ナイロン製フライトジャケットの生産開始が控えており、回収・改造総数が少なかったことから、アメリカを中心とする市場とする飛行服市場では1000ドル台半ばと、高額なものでした。また、この「モディファイド」シリーズは日本では特に着用派のフライトジャケット愛好者の方々に好まれていたと聞いております。今回の品はレコレクショヌールが以前アメリカ人業者から、タンカースや41FJのような人気のあるアメリカ軍WW2ユニフォーム何着かと一緒に「抱き合わせ」で買わされた?ものだったため、この服に関して仕入れは他の品物から計算すると400ドルくらいで赤字なのですが、思い切ってこのお値段で販売することにしました。襟ジャージ部分はかなり良い状態で残存、残念ながら袖ジャージーは戦後交換されています。腰ジャージー部分はかなりいたんでおり、荒っぽい補修がされていますが、大事な正面ジッパーはきちんと機能する状態です。このタイプのジャケットで特にお客様からお問い合わせいただくのが、外側よりも内側なのですが、目だって毛が飛んでところもなく、「剥げた」部分もありません。織り出しの[stock number 8300-470732...]のタグも残存しています。

WW2イギリス軍ガンケースのうち、雪中用ケース (広告掲載04年JAN2番)

WW2で初めての試みとして山岳部隊装備を開発・支給したアメリカ軍と類似して、イギリス軍も北欧での作戦を予想して寒冷地装備、被服をつくりました。このうちイギリスの漁師のオイルセーターをもとにしたとも、炭鉱夫のセーターも基にしたとも言われているコマンドセーターは特に広く知られており、現代の各国陸軍のセーターの基本デザインにも影響を与えています。今回のカバーは雪中での運搬用に白色ダック生地を用いた機関銃ケースで、内部に1944製を示すインクスタンプがあり、その閉鎖具には開閉を分厚い手袋をしたままでもできるように、ダッフルコートと同様の西洋糸巻き状の木製チップとひもが用いられています。このカバーはステン短機関銃のために作られたもので....と説明文を作ったのですが、広告の原稿を入稿後、WW2の無可動銃のコレクターの方で連合軍関係のアクセサリーをお求めになりにレコレクショヌールのショールームへお越しいただいたお客様に、「これはステン用のものではない」とご指摘を受け、お叱りを受けました。レコレクショヌールはイギリスでこのカバーを購入し、あまり見かけないものであり、単純に売り手の説明を信じてこのケースが難であるかの確証は持っておりませんでした。不勉強と、このコレクターのかたのご指摘がなければ、危うく、あやまった説明で販売していしまうところでした。ミリタリアに関する学習には常に緊張感を持っているつもりでしたが、まだまだ不十分と不注意、身の竦む思いを久しぶりに致しました。と、このコレクターのご説明ですとこれは軽機関銃ブレン用だそうです。寒冷地での作動にはある程度の実績があったとはいえ、不必要に雪と水分がつくことと、外気に触れさせないために、重要な軽機関銃を防護するためにつくられたもの、とのことです。分解した状態でも、組み立てた状態でも使えるように2段階の大きさ調整ができるため、ステンも入りますよ、とフォローしてくださったコレクターのかた、ありがとうございました。

   
「朝鮮戦争」アメリカ軍野戦服ロット (広告掲載04年JAN05番)

アメリカ軍コレクションにおいてのひとつのイメージの出発点とは、ジャケットからであることが多いようです。レコレクショヌールに被服に関してお問い合わせを下さるお客様のお探し物のおよそ70%が「トラウザース、シャツ」に関してで、皆様がすでに対応する上衣をお持ちであり、その上着からコレクションを発展させよう、となさっている状態であるようです。以前はこの70%の方々の内訳の多くがベトナム戦争、WW2でしたが、このところ、「朝鮮戦争のM51」に関するものが大変増えました。(実際には朝鮮戦争での着用例はではM43そのライナーつきが多いのですが、これは別の話として)M51フィールドジャケットそのものはレコレクショヌールでは被服を得意とするショップをご紹介するか、または関東、大阪での古着屋さんめぐりをお勧めしておりますが、ほとんどの方がうまくご希望のM51を見つけられておられるようです。以前はM51ジャケットにかぎらず、朝鮮戦争アイテムは、WW2コレクションをなさっておられる方が余裕で楽しむことが多かったのですが、アメリカでの「朝鮮戦争50周年記念」以来、じわじわと品不足が始まっています。「青島コート」でこの世界に入っていらした若いコレクターの方々も増えたようですし、M65ではまだ「ヴィンテージ度の成熟」がいまひとつ、M43だとちょっと古すぎるかな、ということでM51を選ばれる方が多いようです。レコレクショヌールにお問い合わせが多いことは、ミリタリアにある「上着は残るがトラウザース、シャツなど残りにくい」という法則を意味しています。今回は最近増えている「M51オーナー」の方のために、対応するトラウザース、野戦シャツ、そして意外と入手難のドラウアーズ(野戦ズボン下)を3点とも類似サイズ、近いコンディションで揃えました。セットの「ウール野戦トラウザースM1951」は1953年納入の品で未使用品、このころすでにベトナム戦争と同じサイズ区分が始まったため解り易いサイズ・ミディアム、さらにもともとはロングであったのを軍が在庫量調整のため、正規にレギュラーサイズに改修しているため、人気の「ミディアム・レギュラー」となっており、改修の為タグが2つあるという興味深いものです。さらに単体でも野戦服として着用するための肩当の付いた「OG108ウール野戦シャツ」はサイズ・ミディアム、51年納入品、やはり未使用、3点目の「M1950冬期ドラウアーズ」は防寒被服らいく白色混紡製で、これもサイズ・ミディアムです。個別に探すと手間と時間とお金がかかる3点です。もとはといえば、このところ増えた「M51オーナー」の方々のご依頼で探した被服コレクションの「余剰分」ですが、このようにサイズ、状態ともに最高の状態です。レコレクショヌールではこのように今、市場に少なく、希求されているものを供給すべく、ミリタリア・マーケットの最新の状況に注視しています。

 
ベトナム戦争アメリカ軍Cレーション外箱 (広告掲載04年JAN11番)

当時の記録写真で頻繁に観測され、戦後の良質なコレクター向け資料でよく取り上げられているからかも知れませんが、お客さまから大変お問い合わせが多かったのがこのアイテムです。レーション関係は、保険・衛生上の理由から、管理された廃棄作業が徹底しており、入手機会としてミリタリア・コレクションの第1段階である「サープラス・余剰品放出期」を過ぎると、時代をとわず、大変入手困難になってしまいます。したがってレーション関係は一度だれかにコレクションされていたものが市場に再度戻ってくる、という可能性を期待するしかありません。最近のCレーション単体の入手の困難さはかなり過酷です。レーション付属品のアクセサリーパック1点(タバコがはいっていなくても)の値段が「何でこんなに!」と驚かれた方も少なくないはずです。さらに外箱、となりますと、存在総数も中に入っていたレーションの数は12ですから、その確立は12分の1になることになります。レコレクショヌールもこのレーション外箱の入手ご依頼のお客様の数は多く、10個を2年半の間に販売しました。今回ようやく、11個目が入手できて、広告へ掲載することができるようになりました。箱の本体の年号が70年、カバーが76年製です。


【2003年11月号掲載分】

WW2ドイツ軍M43野戦服、イタリアン・ギャバジン製

大戦中のドイツはそれまでの作戦で鹵獲した兵器類を多く使用したことで知られています。このドイツ軍の外国軍隊の物資を流用するという事実は被服類にもみられます。この大戦後半で大量に生産、支給されたイタリア軍生地被服類に関する事実は、たいへん興味深いものであり、この被服に関しては、まず大戦前半のオランダ軍生地製のドイツ軍被服を見てみると様々な事実がわかります。オランダ軍兵用上衣を立襟に改造、脱着肩章をつけたものに工場改造したドイツ軍上衣は当時の実写写真でもたいへん多く見られ、現物もかなりの数が残っております。また、オランダ軍が開戦当時に支給していた兵用上衣は上記のように立襟型、そして何よりも第1次大戦時代の被服思想のままの身の細い裁断でしたので、当然オランダは新型の比較的ゆったりしたカット(それまでは各国ともに「車両内で」座る、ということを考える必要がなかったからです。)の折り襟新型上衣が導入しようとしていました。軍用被服の生産でもっとも重要なのが裁断設定やミシンよりも高額で慎重な染色が必要なウール羅紗生地の生産ですが、これが一定量生産されたところで開戦して休戦となってしまい、この生地はドイツ軍に接収されました。ドイツ軍では上記のオランダ旧型上衣の改造と並行して,この生地から本国製とまったく同じM36上衣を生産しています。このオランダ版M36は裏地もオランダ軍のものを使用し、生産地コードは[A]だったとされています。このオランダ軍被服、コレクターにとっては「嫌だ、いらない」と忌嫌の対象でしたが、実は意外なことに当時のドイツ人兵士たちにはたいへん好まれていたものでした。現在世界中で私たちコレクターが自分の大切なコレクションとして求め続け、大切にしているドイツ軍野戦服―フェルトブルゼは様々な面でWW2時代固有の被服でした。夏服としても使用するためまた当時のドイツで貴重だった棉素材の節約のための部分裏地の採用、襟に直接固定するクラーゲンビンデ―襟布の採用(それ以前はハルスビンデ)、服そのもので装備を固定するザイテンハーケン―装備フックと内蔵サスペンダーの採用など、それまでの服にはなかった新構想が使われています。しかしながら、生産性との兼ね合いで切り捨てられたのは服自体の生地の質です。ウールは硬くて肌触りの悪い、着心地の悪いものでした。実物被服のほぼ新品、となるとそのまま床の上に立つのではないかと思えるほど硬いものです。この肌触りの悪さは兵士たちに嫌われており、本国製フェルドブルーゼよりもオランダ軍生地を使用したフェルトブルゼが好まれたという、私たちにとってはたいへん意外な事実があります。このことは書物や研究文によるものではないため、信憑性についてご説明します。これは自分の祖父の証言について語ったドイツ人からの伝聞です。彼はドイツ軍コレクションをしておらず、WW2アメリカ軍のコレクションをかなり真剣にしている人物です。この文を読んで下さっているWW2アメリカ軍コレクターの方はすでに「ひょっとしてあのことか」と話の概要がお分かりになったのではないでしょうか。このとき私たちは当時イギリスが欧州反攻作戦のため在英していたアメリカ軍部隊のために作ったETO被服シリーズについて話しており、このドイツ人コレクターがこの興味深い話をはじめたのです。ここで敵味方とはいえ「他国製被服」をめぐる状況は類似しています。アメリカ兵たちはこのイギリス製被服を「暖かい、つくりがよい」と、たいへん喜んで着用していたのですから。このドイツ人はこのときレコレクショヌールからアメリカ軍ETOジャケット1型を値切りつつも買ってくれようとしており、お金のうごきは先方から当方へ、でしたので状況には利益が絡んでいないJことから、この証言は信頼性の高いものでしょう。戦後の現代にコレクションをしている私たちは当然ながら本国製絶対主義で、他国の生地を使ったものは亜流、などとしていしまいますが、当時歴史のなかにいた兵士たちにはまったく異なる意識があったわけです。このように戦争前半の他国製生地被服の代表がオランダ軍製であるとしたら、イタリアの降伏により(最近ではイタリアの降伏以前からイタリア軍生地が使用されていたという説が主流です。)大量に入手されたイタリア軍生地を使用した被服が戦争後半には大量に現れます。このイタリア軍生地関係には上衣のみならず、トラウザース、ヘッドギア類にまでいた広い範囲であるのが特徴です。生地には2種類あり、ラフ・アウトと呼ばれる表裏ともに粗い、かなり青っぽい一般的なイタリア軍兵用被服生地とスムース・アウトと呼ばれる表は滑らかな織りで裏が粗いというギャバジン風のイタリア軍兵用生地被服、これはグレィっぽい色調です。後者は兵用生地にしてはとてもよい生地が、イタリアではこれを確かに大量生産の兵用被服に使っています。さらにイタリア軍被服素材としてはグレィのHBT織り裏地生地もドイツ軍被服類に広く使用されています。それぞれの生地が使用されるドイツ軍被服類は下記のように多岐ににわたります。

ラフアウト―
*ヴァッフェンSS野戦服M43、5つボタンのSS裁断、裏地もイタリア生地のもの。現代のように使用ミシンの特性、縫いしろの折込の触感、生地と糸の定着性、などの理論的な真贋鑑定がなかった数十年前にはこのタイプのSS上衣以外はヴァッフェンSSのものと認められない、というしんどい時代すらありました。
*カイルホーゼ野戦トラウザース
*M43規格帽

スムースアウト―
*M43野戦服
*M44野戦服(戦時短上衣)
*カイルホーゼ野戦トラウザース このスムースアウトはさらに多岐にわたります。「あぁ、あのタイプがそうなのか」という例で、コレクターの方々も一度は資料書や現物をご覧になったことがあるのではないしょうか、ヴァッフェンSS将校用M43規格帽、正面「1個ボタン」(4つ穴クリーム色)、裏地本国生地使用―はこのイタリア軍生地製です。また、数年前に一部の経験の長い、ドイツ軍コレクターの間で、このイタリア軍スムースアウト生地製のヴァッフェンSS突撃砲搭乗服の入手熱が高まったことがありました。特にこの生地は当時の白黒写真でもそれとわかる、よく太陽光線を吸収する特性ももっています。さらに将校服では上衣の全体の5%、将校上馬ズボン全体の10%というとおおげさかもしれませんが、このイタリア生地で作られています。あるコレクターに立派な将校服を見せてもらい、「いいイタリア生地だね」と褒めたら「えっそうなの!」と驚かれたことがあります。実際には本国製と信じられている将校服のなかには大変多くのイタリア生地製があるのです。特に近年では「大戦後半の緊迫感のある印象」が好まれ、また複製の可能性が低くなることから、このイタリア生地にこだわり指定してくる人も増えています。今回ご紹介するM43野戦服はこのスムースアウト生地製です。裏地は本国製の43年ころの化繊製です。このイタリア生地製被服の特徴で末端がほつれるので、すべての末端は丁寧に裏地生地で当て布がしてあります。使用ミシンは少なくともピッチの異なる3種類、糸は4種類が使用されています。着用されいますが痛み、擦り切れ、虫食いはありません。この服で大変興味深いのは左胸ポケットに1級鉄十字章、スクリューバック用にきちんと加工した穴があることです。ミシンを使い、ベルトフック用と同じかがりで造られている当時のものです。ただこの服、レコレクショヌールが入手したときは徽章類ははがされており、唯一複製の将校用肩章が縫込みでつけられていました。このスクリューバック取り付け部分のせいか、このイタリア生地のもつ「将校っぽい印象」のせいか、入手当時は見た印象は決してよい服ではありませんでした。外国人コレクターといえど、こういった印象中心の幼稚な改造をしてしまうものです。本も書いているある有名コレクターが、「イタリア生地ドイツ軍野戦服は一定の範囲の欧米のコレクターの間ではかえって本国製よりも高い評価がされてきた。多数派のコレクターにはこのジャンルはすすめても無駄だった。そのなかで唯一正当な評価をしてくるのが日本人コレクターだよ。」といっていました。現在この服に付いているのはレコレクショヌールが「入手後につけた」ものです。この服を入手して以来、レコレクショヌールではていへん慎重に時間をかけてこの服のために徽章類を探しましたが、下の3点のこの服の印象に合った実物徽章類をそろえるのになんと1年以上かかりました。

*マウスグレー襟章、新品ペア
*三角形国家鷲賞、新品
レコレクショヌールではこれらを慎重ミシン付けしました。
*戦争末期肩章、騎兵科(装甲) 取り付け部分が単純な布テープの「超末期」肩章自体も超珍品、これもスムースアウトのイタリア生地製、レコレクショヌールでは初めて入手しました。この肩章の取り付けタング(舌)部分が突撃砲・戦車搭乗服の腰紐やM43帽と組みあわせて使う防寒耳覆いの紐などでできています。この服は徽章類がはがされている状態で入手したので服自体の購入原価が自体は¥50000程度ですが、襟章40ユーロ¥5000、国家章40ユーロ¥5000、肩章90ユーロ¥12000を徽章類に随分投資していしまい、この服も利益率が低いんです。合計原価¥72000。あるコレクターが、服はイタリア生地でも肩章はあえて質感の異なる本国製フェルトグラウをつけると現実感があると言ってくれました。彼のいうとおり、それはナイスインプレッション、です。レコレクショヌールの資料にするならそうしようと思いますが、レコレクショヌールではもしこの服をお求めになったコレクターがおられたら、きっとこ の肩章にもご興味を持つことになるだろう、と考え、この服に付属させることにしました。この服は、レコレクショヌールとしてもこだわっているつもりのアイテムです。

*以前レコレクショヌールでは上記の末期肩章取り付けテープを「服の芯に使うテープである」と間違ったご説明をしてました。これは誤りです。申し訳ありませんでした。

フランス軍インドシナ・アルジェリア戦争TAP装備バックパック

第2次大戦後、東南アジアと北アフリカの旧植民地で起こった戦争ではフランス軍はアメリカ、イギリスからの兵器と被服・野戦装備を使用しました。第1次インドシナ戦争でのフランス軍野戦被服類についてはイギリス軍ウィンドプルーフ迷彩、アメリカ軍迷彩等が全く気にせず混用され、上下これらの迷彩を一緒に着る、といったような着用がされ、アメリカ軍ベルトにイギリス軍ホルスター、といった混合装備がなされました。軍被服装備の目的上の問題は別にして、この時代のフランス軍装はコレクター・リエナクターにとっては魅力的な分野となっています。混在被服はそれら損耗ともに消滅しますが、武器や生存物資と密着している野戦装備は訓練と密着しているため、生存してゆくという現象があります。そのため、フランス独自のものが生産されはじめてもアメリカ・イギリス装備の特性が混在する事実が強く残っていったのです。TAP,TENUES AEROPORTES PARACHUTISTES, 空挺落下傘被布装備一式としてフランスが生産した降下服、綿製装備は供与されたアメリカ・イギリスの被服・装備のまさに折衷として開発されています。Mle47シリーズ降下服はデニソンスモックにアメリカ軍ジャンプコートのポケットをとりいれており、装備品もアメリカのベルト素材にイギリスのバックルを使ったもの、などです。これはTAP装備についてはアメリカ軍空挺コレクションを長い間なさった方、また外人部隊等の強い印象からドイツ軍コレクションの経験者、そして純然たるフランス軍コレクターと、たいへん多くのかたがその独特な印象に惹かれ、収集熱が高まっており、現在準備中の文章がありますので近日中にアップします。今回ご紹介するバックパックはフランス軍TAP装備の中でも上記の初期ベルト(英軍式バックル「ティプ・ブリタニク」に次いで入手困難な、アメリカ軍M36パックを踏襲して造られた、フランス人コレクターが「サカド・パラ(降下兵背嚢)」または「ティプ・デュエス(アメリカ軍式)」と呼んでいるばものです左は、黙っていたら、イギリス軍P37Lストラップの上に、どさっとWW2アメリカのM36ミュゼットバックをのっけたところを写した写真と、思われてしまうでしょう。しかしよく見るとパックはアメリカ軍式でも、やはり見事にアメリカ・イギリスを折衷した装備となっています。Mle50サスペンダーに連結するための連結ストラップはイギリス軍LブレースをI型にしたような幅広デザインと頑丈なスナップになっており、これによりアメリカ軍M36パックの失敗点である「バロッタ−ジュ」、装備が安定せず、走ると横揺れして着装者の体力を消耗する、という欠点を改良しています。とはいえ、空挺装備としては容量の少ないティプ・デュエスは早い時期に生産中止となり、大変な貴重品となっています。また、このパックには紛失しやすい別体の連結ストラップが2本とも付属しています。実際に手に取ると、何よりもフランス軍装備の鉄則である水濡れの際の速乾性のための薄手の素材製であることがとても強い印象をこのパックに与えています。フランスのミリタリーショーで業者ブース代を払って朝5時に入場し、この分野に強い業者を待ち伏せして、おなじように初期フランス軍装備を狙うわかて フランス人コレクターを蹴散らして入手した1品です。購入原価160ユーロ(約¥21000)、比較的古い時代のMle50サスペンダーをお付けします。

ベトナム戦争海軍シールズ使用リストコンパス

「シールズが使った」と書けば何でも売れるから、という意図はないので、信じてください。入手先はアメリカ人コレクター、現在のようにシールズ使用の「フローテーション・ジャケット」俗称シールズ・ジャケットが注目される以前からこの変わったジャケットを適価であっても、またぼられていても、ひたすら買い続けた人物で、このコレクションは販売アイテムも信頼度ほぼ90%くらいと、結構良いものを出してきます。本体は海軍独特のグレーのプラスチック、コットン製ストラップも海軍グレーですが、いかにも海軍らしいのは固定バックルが安いメッキ製、さびています。使用する人物は一人しかいないため、また必要もないのにずれては困るのでサイズ調整機能はありません。コンパス本体も機能します。原価は100ドルというのを90ドルにしてもらいました。(約¥11000)

日本軍明治期弾薬ごう

明治時代の村田小銃時代の弾薬ごうの後ごうです。正面は「ぎぼし」で閉鎖するストラップが1本、背面にはベルトループが2本、向かって右側に、一部の30年式後ごうと同様の分解用のドライバー収納スリット、左側にはオイラーが固定されています。残念ですがこのオイラーのふた、キャップが紛失しています。内部には動物毛が前後の両面から内側に向かって編みこまれており、これは小銃の大きな弾薬を押えるため、とされるものです。以上、「見た目」のことしかご案内できず、大変申し訳ありません。この品物は国内です。都内の古物鑑札をもった骨董業者さんから購入しました。こういった国内での仕入れの場合はものがひとつではなく、複数で「抱き合わせ」になることが多く時々困ります。レコレクショヌールは今回の将校夏服のような特殊なもの以外は国内にたくさん残っている日本軍被服は扱わないのですが、このときも相場の大変安い兵用冬服数点との抱き合わせでした。他の品物との関係で原価が¥22000くらいになってしまっています。

ベトナム戦争アメリカ軍「防爆ピンクライト」

アメリカで近年出版された英文資料で、このピンク色のフラッシュライトが紹介され、その刺激的な色彩からコレクターの心をとらえ、入手への熱が高まったアイテムです。ベトナム戦争コレクションは、もうひとつの多数派アメリカ軍コレクションであるWW2、第2次大戦コレクションと比較すると、同じ国のものでありながら、まるで違う国のものであるかのように全く異なる部分がいくつかあります。ベトナム戦争コレクションがもっていてWW2関係にないものでは、「色彩」がそのひとつではないでしょうか。ベトナム戦争は平時のアメリカがやむをえず、入っていった戦争ということになっていますので、初期には国内で着用されていたカラーのインシグニア類をふんだんに使ったOD被服類、さらに様々な色調のタイガーストライプ迷彩、またフランス軍の伝統を踏襲する南ベトナム軍の華やかな軍装など、色彩に敏感にならざるを得ないカテゴリーです。また当時のちょっときつい色調のカラー映像もその印象を強めているのかもしれません。ピンク・フラッシュライトですが、当初は入手希望者が先行していたものの、「いったいこのライト何のためのものか」ということは知られていませんでした。このピンクのライトは「パーミッシヴ・エレクトリック・フラッシュライト」というもので特殊工場や炭鉱などのガス発生地、また揮発性の燃焼・爆発物のある場所での勤務に使用されるライトで、落としたりして破損した際にスパークを発して、爆発を引き起こさない構造になっています。このライトは陸戦部隊にも広く使用された「Lライト」のメーカー、フルトン社が納入したもので、MX212/Uの刻印、合衆国内務省炭鉱局の紋章がはいっています。陸戦向けLライトの時代判断で重要とされる、「スイッチガードのない」タイプであったため、売り手の証言を信じてベトナム戦時のものとして購入しました。入手先―アメリカ、レコレクショヌールの購入価格45ドル(約6000円)

日本陸軍将校防暑開襟上衣

5つボタン、兵用の様な擬似詰襟で常時開襟、将校用夏ウールを使用しており、脇の下にはボタンとめの開閉スリットがある兵用防暑服に準じて作られた将校用防暑服です。さらにこの上衣は「野戦将校の印象」を求めるコレクターが希求する「つるし」、オーダーではない既製品です。首の部分にはサイズがスタンプされていた白いタグがのこり、右胸内側には亀甲が他の記名布があり、「ヨコスカ、青木」と墨書きされています。興味深いのは、首部分に服をフックになどに駈けるためのループがあるのですが、このループがコートなどに付けられる、准尉の袖章の折り線でできていることです。まさにあるものは何でも使う、という戦争後期の印象が強まりま す。この服の持つこの緊張感は、前部ボタン5個がすべて木製(塗装もされていません。)であり、胸ボタンは将校3式上衣でよく見る鉄製塗装ボタン、脇防暑ポケットボタンは国民服のような4つ穴ボタンと、ばらばらであることでさらに強まります。3式袖階級章を構成する袖線が取り外されています。レコレクショヌールでは入手した状態のまま、あえて複製などを縫い付けることはしませんでした。状態は「陸軍将校夏服で虫食いについて文句を言うのはビギナー」などといわれるほど虫食いに弱いこの夏ウールにしては珍しく年月のための虫食い、また当時の使用による損傷はありません。この服はレコレクショヌールでは例外的に個人から入手しました。顧客であるドイツ軍コレクターがだいぶ以前に購入したものだそうで、¥16000で購入しました。襟章はレコレクショヌールで付属させました。この服と一緒に発見された、というものではありません。3式のオフセットされた星章、紙の芯、左側の赤ラシャ部分に米粒大虫食い、左側には同様の虫食いが2ヶ所あります。イギリスで25ポンド、(約¥5000)で購入したものです。決してこの襟章は「おまけ」ですという乱暴なことは言いませんが、程度重視の方は、じっくり時間をかけてこの服に合う状態のよい襟章をお探しになってみてはいかがでしょうか。

WW2初期スムースレザー・サービスシューズ

WW2USコレクションの中級以上のコレクターが入手を希望することの多いこのブーツ(サービスシューズ)。日本へ進駐したアメリカ軍部隊はこのブーツを持ってきていないため、我々の先輩の世代からも沖縄の倉庫から突然大量に見つかった、などという話は聞いたことがありません。従って以前より輸入専門のコレクション・ショップで入手するしか方法のなかったものです。今でも思い出すのは当時原宿にあったUSミリタリアの草分けともいえるショップ(USミリタリアをサープラスからコレクションへ発展させたこのショップには今でも感謝しています。)にこのブーツがあり、当時日本では超希少品、状態も良かったのですがやはりフットウェアであることから高額で簡単には手が出せず、当時私たちと仲間は装備品の購入で余裕がなく、もじもじしていたところ、ある日突然、若い女性がファッションのために買っていってその場で履いて去っていたという出来事がありました。実際にブーツを売り渡したそのお店のスタッフとともにがっくりとしたものです。今は希少品のこのブーツですが「履くことはない」とはいえ自分が普段使う衣類のサイズに近いものは現実感があり、サイズ8くらいを求めるのはコレクターとしての人情というもの。しかし靴サイズをめぐる状況は被服と異なり、海外でも日本でも人気のあるサイズは似通っているという、困った問題があります。特に日本でいう26センチくらいにあたるサイズ8などは過去15年でとっくに消滅したようです。また被服における人気サイズのプレミア度(人気がサイズのものは値段の上乗せがあるということです。いやですけど、これってありますよね。)はせいぜい30%アップくらいですが、人気のサイズの靴(それと帽子類)要求される価格が2倍ということもあるくらい、しんどい売り手市場です。その中で今回のブーツはサイズ7Bと現実的なサイズ、このタイプの靴でありがちな皮革の乾燥、硬化もなく、未使用品・保存状態90%(50年前の新品状態を100%として)という良好なものです。また高額になりがちな価格も、現金と日本軍関係の被服を交換に出すことで安く入手し、価格も広告にあるように近年にしては低めに抑えてあります。アメリカ軍独特のブラウン、靴紐も純正品です。

中国軍モーゼルピストル(ブルームハンドル)皮製ホルスター

ナチュラルの牛皮製、白糸で縫製、背面に、斜革―ショルダーストラップを連結するためのDリング2個の固定とベルトループを構成するY時型の革パーツがあります。ホルスターは2個の金属スナップで閉鎖・開放を行い(スナップにはよく戦後のものといわれる5つ腕星刻印が入っています。)クリップ・チャージャーのポケットが2個、本体閉鎖具と同じスナップで閉じられます。内面には「三号x売槍革套、海11/3五四年XX度製」と黒スタンプで押されています。重心の短いボロ・マウザーのホルスターです。入手元はイギリスへやって来ていたロシア人ディーラーという変わったケースです。購入原価は50ポンド(約10000円)、申し訳ありません、レコレクショヌールは時代について確かなことはいえません。しかしながら珍しいブルームハンドルのホルスター、稀な入手機会です。

2)WW2ドイツ軍スチ―ルヘルメット用チンストラップ

現在、実物塗装、実物ライナーのドイツ軍ヘルメットをめぐる状況は良くありません。流通量が極端に減っており、サイズの指定などはもちろん、残念なことに厳格な状態の選定なども困難になっています。ちょっと規模の小さいアメリカのショーなどでは実物塗装のドイツ軍ヘルメットは1点もない、という状況もありましたし、ヨーロッパのショーでも数点のみということも珍しくありません。なかでも最近、「ヘルメットにチンストラップが付属していない。」という状況が確実に増えています。あまり深く考えると疑心暗鬼になりますが、売り手がもしストラップをはずしておいたら、本体とストラップと両者で2回、時期をずらしての販売機会があるわけです。このストラップは1年前にドイツで購入しました。売り手のドイツ人は「以前自分が持っていたヘルメットを売ったときに、手入れのために外しておいたこのチンストラップがどうしても見つからず、やむを得ずにそのヘルメット売ったあとで出てきたものだ。」といっておりました。そのわりには高かった。55ユーロ(約7150円)でした。アルミ製バックル、白糸で固定。革の乾燥部分なし。ヘルメットへの固定用金属「ぎぼし」はついておりませんでしたので、レコレクショヌールでよくできた代用品を付属させてあります。

6)WW2アメリカ軍TL29ラインズマン・ナイフ

各国軍の歩兵装備のコレクションで、ポケットナイフというカテゴリーは常にコレクターが惹かれる対象です。「等身大」という共通性のあるミリタリア・コレクションにおいて、被服と銃器は両極端です。その線を結ぶとすれば、「その線上にあって、被服より」にあるのが着装装備品、銃器よりにあるのがバヨネットやワイヤーカッターなどといえるでしょう。兵士が使用する小型のナイフは被服と異なった金属のもつ緊張感があり、それでいて銃剣や銃器とは違う、生活用品の持つ、気持ちのなごむ印象があるのが人気の理由ではないでしょうか。大戦中のポケットナイフとしてTL29ナイフはそのデザインが広く知られていますが、実際には通信隊が有線電話のコードなどを加工する際に使用する特殊目的ナイフです。「TL」は英単語tool,道具を意味するといわれており、やはりこの装備識別分類をもつTL13プライヤーとともに皮製ポーチCS34に収納され、WW2からベトナム戦争まで、広く使用されています。しかしながらこのCS34ポーチは軍の通信設備規格と同様の者をもつ民間電信電話機関でも者が同様のものが使用されているため、ベトナム戦争ころにはその民間型を軍が買い上げたものが使用されている可能性があります。TL29ナイフは通常のナイフブレードが1本、ドライバーとしても使えるブレードがもう1本のデュアル・ブレードで、ドライバー用のブレードには使用の便と安全のため、収納時に押して解除する固定子があり、折りたたむ際に使用社の指を切らないよう、アーチ型に刃のない部分があるなど大変丁寧なつくりになっています。納入メーカーはカミラス社をはじめ、著名なメーカーが多く恐らく軍への納入価格は高いものだったことでしょう。今回のTL29は資料などで時折紹介され、軍用装備の木製パーツに対する印象の良さから希望者の多い木製グリップ製、このグリップにはコレクターが惹かれる、「TL29」の刻印がはっきりと読み取れます。このTL29ナイフの木製グリップはその遭遇率が少々過小評価されており、この形式の存在をご存知の方は多くても、実際に手にとったことのある方は多くはいらっしゃらないのではないでしょうか。レコレクショヌールが感じているところですと、プラスチック・グリップの通常型の入手機会が50本在ったところで1本、というところではないでしょうか。以前にあるアメリカのショーで「TL29のウッド・ハンドルが欲しいんだけど。」と聞いたら感じ悪くはなで笑われたことがありました。このTL29もレコレクショヌールでの販売はかこ15年で2本目、入手元はフランス、原価は55ユーロ(約7150円)でした。(申し訳ありませんが、現物は販売済みです。)

9)ベトナム戦争土嚢初期型

イギリス人のミリタリア研究家ライルズが著し、三島軍曹が監修した並木書房の邦文資料でナイロン製グリーンの土嚢袋が紹介され、近年この歩兵に身近なアイテムが注目されるようになりました。この資料で紹介されているナイロン製グリーン土嚢袋(どのう)は確かにベトナム戦争戦争で使用されたものですが、今回ご紹介するのはナイロン製の物よりも使用期間の長い初期型で、あまり見かけないものです。土嚢袋、というと単純にどんな袋でもよいと思われがちですが、実際には条件があります。私たちコレクターやリエナククターは、土嚢というと単純にM60などの機関銃を置いたときの雰囲気作りの脇役と考えしまいますが、土嚢はただ土を詰めた袋としての強度のみではなく、10個、50個、100個と積み上げられた際にその全体の重量に耐える強度が必要です。もし耐え切れずに裂けてしまえば、下から崩れていってせっかく構築した建造物が倒壊してしまいます。建造物を構築したのちは、雨が降って水を吸った土から水が排水されるような透過性のある素材である必要があります。土を吸った土は柔らかくなって、やはり建造物の安定性が失われるからです。そのため、ナイロングリーン新型土嚢も、何となく涼しい感じの織り方の素材になっていますが、この排水性にやや問題があったそうです。ベトナム戦争へは驚くほど多くの工兵部隊が派遣されています。ベトナムでの建築作業、土木作業などを通じてベトナムの社会に貢献し、人心をとらえてアメリカ側の政治目的を理解させていきたいという目的があったからですが、いったいいくつの土嚢袋が送られたことでしょう。また、よく日本でも道端で見かける白いナイロン土嚢、今度ためしに触ってみてください。他の土おんぶ文意くらべてびっくりするほど硬いはずです。当時、信頼性が高かったのは天然素材を使ったこの初期型で、丈夫で、水も良く通しました。しかし天然素材は生産コストの点でナイロンに敵わず、廃止されていったようです。この土嚢袋をオファーを持ってきたアメリカ人いわく、「もとは沖縄で見つかってアメリカへ送られたものだから、この土嚢袋は太平洋を2往復したんだ。」といっていますがほんとでしょうか?

10)中東関係階級章類

このサイトの「コレクションの話#1」で読んでいただいた「来日する外国人ディーラー・コレクター」のなかに、本業がフリーのジャーナリスト、というフランス人がいます。このフランス人が、ポワンショー(熱い地域)、世界中の紛争地帯へやたら出かけ、記事を書いては稼いで、東南アジアで静養する、という生活をしているのですが、このフランス人は本人はそれほどミリタリアに興味を持っているわけではないので、被服や装備よりもインシグニア、徽章類の販売を専門として小遣い稼ぎをしています。ただこのフランス人がもってくるもので興味深いのは、ジャーナリストだけあって、そのアイテムに時事性があるということです。まずはイラク戦争帰還兵から入手したというイラク軍少佐野戦階級章、アラブの軍組織に好んで使われる鷲が使われたデザインで、ループ式にシャツのエポレットに通すもの。もとはグリーンぽい生地だったようですが、強い日差しでカーキに変色しています。次に現在も悲惨な状況が続いて事態の悪化が心配されるイスラエルの陸軍将校用階級章、木の葉をあしらった中佐(木の葉2枚)と大佐(木の葉3枚)の戦闘服用階級章です。こちらは新品ですが、レコレクショヌールでも以前はイスラエル軍階級章はヨーロッパの業者を通じて入手できたのですが、状況が悪化したここ数年はぱったりとはいらなくなってしまいました。ともに価格は広告に出ているように安価なものです。また、同様の「時事もの」で広告には出ておりませんが、ゲリラの暗躍が日本でも報道されているフィリピン陸軍将校尉官階級章もあります。

11)ソビエト軍M69トラウザース

一時はサープラス商品として御徒町にまでたくさんあったソビエト軍カーキファティーグも今はすっかり姿を消しました。真っ赤な肩章と襟章で着き、肩章には大きく黄色で「CA」(実際にはSAでソビエツカヤ・アルミヤ、ソビエト軍を示します。)と入り、前部はぴかぴかの金ボタン5個で閉鎖する、作業・野戦服なのにきらびやかなM69は地味な色あいと派手な徽章類が西欧の水準から見ると奇異に見えるという、ソビエト軍軍装独特の魅力のためかコレクター・リエナクターには人気のある被服でした。現在、先輩コレクターから譲り受けたり、オークションなどでこのM69の上着を入手して、トラウザースをお探しになっておられる方はとても多く、買い付け出張の際にはよくご依頼をいただきます。ソビエト軍関連に限らず、ミリタリア・コレクションの対象の中で被服はつねに一定数が日本へ輸入されており、実物←→悪意ある複製の判断をする必要が比較的少ないため、被服をお探しのお客様には、レコレクショヌールは「ヤフーオークション」での入手を目指すことをお勧めするか、信頼のできる被服に強いディーラーを紹介しております。そういったなかで、このM69トラウザースははじめてのお客様、また、「オークションもショーでも見つからない。」とおっしゃって再度ご連絡を頂く方が多く、レコレクショヌールもこのところ精力的に探しているアイテムです。M69トラウザースはセミ・ブリーチ型(すそがやや細まる非ストレート型)で、第2次大戦以来のひざあて補強、ペンタ(五角形)プレートがつき、常時ブーツの着用を意識しているため、すそ部分は倒立U字型にカットされ、足の裏を通ってすそを止める布テープが付けられています。このトラウザースで興味深いのは同時代のアメリカなどの作業・野戦服に見られるように、また上が浅く、一般市民の被服の特徴を踏襲した物となっています。

14)アメリカ軍女性用HBT上衣

OD7番のダークグリーンHBT素材であることを除けば、小型のボタン、長方形角型フラップのついた胸ポケット、背中のタック、女性の体形に合わせるため胸を膨らませた裁断、などは第2次大戦の女性用ウールシャツの第1型にとても良く似ています。このWW2ウールシャツはなぜか単純な長方形ポケットフラップの第1型から後期型である第2型になると生産の難しくなる三角形ポケットフラップに変わるという不思議なシャツです。アメリカの議会には現代ではジェンダー論などから差別とまで言われそうな男女同権について保守的な層がいて、女性の被服には戦闘、野戦などを連想させる言葉は使われない伝統がありますが、このシャツではそうも言っていられないアメリカ軍の事情が伺えます。それはシャツの内側につけられたガス攻撃から皮膚を守るガスフラップ、対ガス液を浸透させたウール製フードを取り付けるためのボタンが2個襟の後ろに取り付けられ、そで口もガスが入り込まないように絞れるようになっています。このガスフラップと全体のデザインはベトナム戦争の際のポプリン製女性用「温暖地向け作業服」(ジャングルファティ―グの正式名称は「熱帯戦闘服」ですが、このように女性が戦地に行くという印象をできるだけ避けるようにしています。)にとても良く似ています。ここではミリタリア被服によくある「これはあれの原型となった」より1歩進んで、ベトナム戦争の初期ではポプリン製作業服の生産が間に合わず、この暑いHBT素材をいてベトナムいりしている婦人部隊および看護婦がとても多くいました。興味深いのはボタンで、WW2のM41フィールドジャケットの4つ穴チョコレート色小型ボタンが使われているところです。OD7色調が採用される時代で、生産終了により余っていた旧型フィールドジャケットを最新型素材を使用する必要のない女性用被服へ転用したわけです。過去に何度か申し上げたように、アメリカ軍は「物資を湯水のように使う豊かな軍隊」では決してありません。このような節約を堂々と行う軍隊で、無駄に気がつかない他国の軍隊と比較すると、異なった意味で豊かなのかもしれません。


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